「不登校ビジネス」
不登校に限らずですが、何か援助をする際に金銭が絡むと、「弱者を食い物にしている」と言われることがあります。
でも、よく考えてみてほしいのです。
たとえば、私は福祉業界に身を置いて長いけれど、これだって見方を変えれば
「貧困ビジネス」
と言われてしまうこともありますよね。
それでは、もし社会で上手く生きていけない障がい者がいたとして。
「家族だけで支えてください」
となったら、どうなるでしょう?
周りに味方がいるのかどうかもわからず、
ときに「この子(この人)の世話をやめたい」と思ったとしても、
休むことなく自分でお世話を背負い込んでしまうことになりはしないでしょうか?
家族でも「大変だ」って思っている子どもやパートナーを
他人が面倒みるのって、無償ではしんどいのです。
もちろん、無償でみてくれればそれに越したことはないかもしれません。
ですが、何か事故が起こったときに責任は取れません。
金銭が絡む、ということはそこに「責任を負う」ということを意味すると私は考えています。
お預かりしている間は、その人の生命や安全を守る「責任」というのが生じるのです。
私は、心理士だけれど、不登校生徒の親でもあります。
不登校生徒の親として、ときには
「うちの子の面倒をほかの人がみてくれれば……」
「ほかの人がかかわってくれればいいのに……」
と思うことは、確かにあります。
でも、「無償」で、かつ「責任をもって」かかわってください、と言うのは、
正直リスキーかなって私は考えています。
たとえば、一緒にかかわっている間に子どもがケガをしたとして。
お金をこちらが支払っていなければ、相手もお金をもらっていないわけですから、
「何で病院に連れて行ってくれなかったの?!」
と言いたくても言えないわけです。
もちろん、「不登校のことでお金を取ることは悪」と思われるには、それ相応の理由があります。
親御さんの中で、不当に高額取られてずさんな対応しかされなかったとか。
実際に子どもを預けてみたら、子どもが不当な扱いをされたとか。
相談してみたら、親御さんが不当に傷つけられてしまったとか。
そうですよね、それは私も理解できます。
「これをやれば絶対に不登校がなおりますよ」
なんて無責任なことを言われて、ワラをもすがる気持ちで頼ったのに、何も結果が出ないじゃないか!
って思いますよね。
ものごとに「絶対」なんてないんですけど、それだけ自信満々に言われて、責任持てませんって最後に投げられたとしたら、それはねぇ……と私でも思います。
ただ、ここが難しいところで、
「無償」「ボランティア」では重い責任は取れない、というのも私はわかります。
人の人生にかかわるということは、それだけ苦しい側面もあります。
きちんとこころの問題に対応できるよう相応の訓練をしてきた人でないと、こころ折れてしまうことだってあるのです。
だからこそ、それ相応の訓練を積んでいる人を見きわめて、責任をもって対応してもらいましょう、ということなのです。
私の思う「不登校の専門家」というのは、単に「子どもを学校に戻す人」ではありません。
✅子どもにとっても親御さんにとっても、いちばん幸せな道を探せる
✅ゴールは「子どもが健全に幸せに生きること」
✅学校に行けない子どもを間近でみている親御さんの苦労に耳を傾け、それを軽減すること

ここがいちばん必要であると私は考えています。
無理やり子どもを学校に通わせたところで、子どもが幸せか、というとそうではありません。
もっとこころの行き場をなくして、家族にもこころを開かなくなってしまうかもしれません。
でも、親御さんの世代(私と同世代の方も多いかと思います)が
「学校は行くものだ」
という価値観の中で育っていることも私は知っています。
自分の育ってきた価値観と子どもの価値観との中で葛藤している親御さんの気持ちに寄り添い、解きほぐしていくことも大事です。
これってけっこう時間もかかるし、大仕事だと私は思うのです。
だからこそ、かなりの責任が伴います。
「責任を負いますよ」という関係を結ぶこと。
それが金銭に反映されるのかなって私は思うのです。
親御さんひとりで思いを抱えているのは、本当に苦しいことですから。
味方は多い方が良いです。
何か協力できることがあったら、お手伝いさせてほしいです。
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